“世の中と演劇するオフィスプロジェクトM”は、2011年3月に上演した 『死刑執行人~山田浅右衛門とサンソン~』 (作/演出:丸尾聡) を、NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺の提携公演として、来たる1月に再演する運びとなりました。
初演時には、東日本大震災による上演中止・再開がございました。世界の認識が一転したかのような中にあっても、再開後に足をお運びくださった方々から、命を描くことで現実とつながる力を持った作品だとのお言葉をいただきました。総合演劇雑誌「テアトロ」の2011年4月号に全文掲載された上演台本を、改稿しての再演です。
お聞きください、皆様。
我らが演じますのは「死刑執行人」の過去、現在、未来の運命、
その暗闇に光をかざして浮かび上がった姿のみ。
死刑はかつて、見せしめあるいは見世物として、多くの国々で公開執行されてきました。現在、法律上・事実上の死刑廃止国は140、死刑存置国は58。存置国のひとつである日本に於ける、2014年の執行発表数は3。
ことの是非を声高に問うことは芝居にはあまり向きません。本作品は、革命前のフランスのムッシュ・ド・パリ、維新前後の江戸の御様御用、そして法務局矯正局の刑務官に、旅の一座が扮する趣向です。
一座の座組は、初演にも参加の71歳を迎える小林達雄から、今回初のプロジェクトM出演となる、TRASHMASTERSの期待の新人・森田匠や、企画演劇集団ボクラ団義の主演女優・平山空まで。出演者、スタッフ一同、皆様のご来場を心よりお待ちしております。
ご多忙の折りとは存じますが、お誘い合わせのうえ、ぜひ劇場まで足をお運びくださいますようお願い申し上げます。
『「刑場に射す演劇の光」 死刑執行人~山田浅右衛門とサンソン~に寄せて』1月1日 櫻井悟史氏(立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員)より御寄稿
『信濃毎日新聞』1月10日(土) 芸能面掲載
『しんぶん赤旗』1月11日(日) 日曜版掲載
『読売新聞』1月13日(火) 夕刊掲載
『東京新聞』1月15日(木) 朝刊掲載
世の中と演劇するオフィスプロジェクトM
死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜(再演)
座・高円寺 冬の演劇24 日本劇作家協会プログラム
作・演出:丸尾聡
会場:座・高円寺1(JR中央線「高円寺」駅 北口 徒歩5分)
日程:2015年1月21日~25日(全7回)
後援:杉並区
提携:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
タイムテーブル:
21(水) 夜19:00
22(木) 夜19:00
23(金) 昼14:00※ / 夜19:00
24(土) 昼14:00※ / 夜19:00
25(日) 昼14:00
※託児所サービスあり・有料(申込:高円寺チケットボックス)
□30分前の開場です
出演:
リアルマッスル泉
平山空
小山貴司
横澤有記
鈴木貴大
小田篤
森田匠
柴山美保
矢内久美子
廣田健
奥山貴章
坪井未来
丸尾聡
小林達雄 ほか
スタッフ:
作・演出:丸尾 聡
舞台監督・照明:小関 英勇
美術:加藤 ちか
音響:荒木 まや
殺陣・所作:山村 秀勝
ムーブ:工藤 美和子
衣裳:有島 由生
演出助手・広報:大貫 アイ(シャラパン)
宣伝美術:松田 陽子
制作:奥田 英子(演劇ユニットG.com)
後援:杉並区
提携:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
協力:
企画演劇集団ボクラ団義
劇団東京イボンヌ
劇団ポニーズ
(株)ステージオフィス
g-クラウド
トラッシュマスターズ
岡田 雅子 酒井 あいみ 櫻井 悟史 須長 晋之介 橋本 かおる ほか
カンパニースタッフ:白勢 未生
我らが演じますのは「死刑執行人」の過去、現在、未来の運命、その暗闇に光をかざし浮かびあがった姿のみ。
どうか寛容のお心で御覧下さいますよう。
革命前、パリの執行人はムッシュ・ド・パリと呼ばれ、後に、その子孫は「有罪判決の執行者」と呼ばれることを願った
1693年。日本では五代将軍綱吉の時代。執行人サンソン一族の始祖、シャルル・サンソン・ド・ロンヴァルは、貴族と同じように報酬を得るが、市民の範疇ではない立場に、胸の内に消えることのない黒い雲のような不安を抱いていた。
1789年。「人権宣言」の発布。ルイ16世に仕える四代目アンリ・サンソンは、法の執行者として、市民権を認められることになる。議会では、人に優しい処刑器械としてギロチンが正式に採用された。これで先祖より長く心を曇っていた黒い雲は晴れるであろうと、アンリは思う。
フランス革命。アンリは、市民の手により作られた法律に従い次々と処刑を行う。国王ルイ16世も。
そして……
江戸の執行人は「首斬り浅」と呼ばれ、技を磨いた
1823年。八代将軍徳川吉宗は、名刀の鑑定、試し切りの用意をさせている。見事に屍体を真っ二つにしてみせた山田浅右衛門吉時は、浪人の身分のまま「御佩刀御試御用ごはいとうおためしごよう」のお役目を仰せ付けられる。
やがてその生業には試し切り用の屍体を作る首斬りの役目、死刑執行人の生業も加わる。
1864年。維新前夜。七代目・山田浅右衛門吉利よしとしは、息子の吉亮よしふさとともに、「技」を磨いている。
「山田流は人を斬ることに非ず。科人が瞬くうちに首を落としてやること」
1869年、明治二年。日本の死刑に対する刑罰が、「残酷さ」を軽減するため、刀による斬首刑から器械による絞首刑へと移行されていく。山田浅右衛門の「技」は、必要とされなくなった。
絞首は、旧刑法によって刑務所組織の最下層の役目、「押丁おうてい」が行うことと定められる。
押丁は、やがて廃止され看守がその役割を担う。
「オヤマダタダシ」は法務省矯正局の刑務官である
看守は刑務官とその名前を変えた。
オヤマダ タダシと妻アキコは、拘置所の官舎で暮らしている。
土曜日の11時のことだった。